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流葉のページ
このページは、全世界の旅人に捧げられています。
流葉の旅 その2(はじめての異国)
横浜港を出たハバロフスク号は北上し、津軽海峡を夜中に通過した。波が荒く船は揺れた。暗いランプのともる二等船室で流葉は、心細い気持で一夜を明かした。
流葉が最初に足を踏み入れた異国はソ連(当時はそう呼ばれていた)だった。初めて見る外国はすべてのものが珍しかった。しかし、ナホトカからハバロフスクへ向かう車窓からかいま見るロシアの人々は、みすぼらしい身なりをしていて裕福そうではなかった。旅行者にガムとかジーンズをねだる人もいた。旅の先輩に「ロシアへパンストを持っていけば、良い値で売れるぜ。」と言われたのを思い出した。貧乏旅行者はその国で安い品物を仕入れては、他の国でその品物を高く売ってマージンを稼ぐことはよくやる。学生時代にマルクス、エンゲルスの本を少しは読み、共産主義にある種の夢を描いていた流葉は、ロシアの民衆が生き生きとしていないのを見て幻滅を感じた。
とにかく北欧を目指していた流葉は、ハバロフスクからシベリア鉄道に乗らずに、モスクワへ飛んだ。モスクワは5月だというのに、まだ薄ら寒く暗い感じの町だった。赤の広場に隣接したホテルの客室はだだっ広く、娼婦からの誘いの電話がかかってきたりして、モスクワはあまり好きになれなかった。流葉は、そのあと訪れたレニングラード(現サンクトペテルブルグ)の方が気に入った。古くて落ち着いたその街は、愛読していたドフトエフスキーの小説の舞台だった。ネヴァ川に架かる小さな橋に佇んで川の水面を見つめていると、ラスコルニコフに同化してしまいそうな気持ちになった。エルミタージュ美術館もすばらしかった。
ロシアからフィンランドへ汽車で入ったときは、モノトーンからカラーの世界へ移行したみたいだった。ロシアの民衆とくらべてフィンランドの人々の表情は明るく、世界が輝いて見えた。ヘルシンキでは、ペンフレンドのキルスティを訪ね居候をさせてもらった。友人の湖にある別荘へ招待され、サウナに入った後で冷たい湖に飛び込む本場のサウナも体験した。しかし、そんな夢のような体験の後に、悪夢が待ちかまえているとは知る由もない流葉だった。
ペンフレンドのところにあまり長いこと居候もできないので、宿を探してヘルシンキ駅の近くでぶらぶらしていると、Sと名乗る日本人が声をかけてきた。話をするとヘルシンキに長く住んでいるらしく、家に泊まりに来いというので、これは渡りに舟とばかりにのこのことついていった。Sは、郊外の小さな家にフィンランド人のガールフレンドと一緒に住んでいた。旅の疲れもあって、すぐに居間のソファーで寝させてもらった。夜中に目を覚ますと、そばに置いていたショルダーバックがないではないか!玄関のドアが開いていてSの姿が消えていた。騒いでガールフレンドを起こして聞いてみても、言葉がうまく通じないので何をいっているのか解らない。そうこうするうちにSが帰ってきた。よく見るとショルダーバックを手に持っているではないか。すぐに手からひったくってパスポートと財布を調べると、ちゃんとあったので気まずい思いの一夜を過ごし、早朝にSの家を出た。しかしバスの中で「はっ!」気づいてもう一度、財布の中身を点検したらトラベラーズチェックは、手つかずのままだが、3万円と20ドルがなくなっているではないか!すぐにSの家へ引き返して、そのことを追及してもSは知らぬ顔の半兵衛だ。
日本大使館へ行っても取り合ってくれないので、警察に訴えた。しかし警察では物的証拠がないので、もし裁判にかけると長引きそうだと言われる。お金も盗まれてあと500ドル(当時は1$=360)しか持ち金がないし、そんなに長くヘルシンキに滞在できないので仕方なく「もし犯人が見つかったら、しっかりと罰してください。」(警察で、もし犯人が見つかったら処罰しますかと聞かれた。)と頼んでストックホルムへと向かった流葉だった。 (つづく)

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